葛飾ボランティア第一次派遣

葛飾地区委員会が今後、継続して被災地を支援するために、11名の壮若男女が善意の救援物資とともに現地入りしました。その中に私も参加しました。石巻市にある宮城県東部地区委員会にも津波が押し寄せて、中央の支援も受けて再建した地区委員会が、ボランティアや物資も受け入れるセンターとなっています。

初日は現地の担当者に被災の状態を説明を受けました。一か月前と異なり、町のがれきや土のう袋はかなりかたずけられているのは明らかです。

石巻港近くの密集市街地で最も深刻な被害を受けた地域でがれきもほぼ片づけられて、何もなくなってしまったような状態ですが、この近隣は、一か月前現地入りした時とほとんど変わっていないところも多いのが現実です。あらためて、被害の深刻さを目の当たりにしました。

このような大きな船を地上に持ち上げる巨大なエネルギーが大きな被害をもたらしたのでした。

今回は、女川にも足をはこびました。
女川は、三方を山でかこまれた典型的なリアス式海岸で、津波が渦のように町をかき回し、鉄筋コンクリートの建物もなぎ倒したとして、深刻な被害をもたらしました。作業はまだ自衛隊の重機が中心でボランティアの作業は今後の課題だとのことです。同時に、石巻から女川へ行く途中の海は、入り江が狭くなっていて、被害があまりないのには驚きました。ホタテの養殖もおこなわれていました。松島海岸と同じなのでしょう。ただ、この地区は、地盤沈下したのでしょう。道路が冠水してしまうのでアスファルトで道路がかさ上げされていました。しかし、家屋への浸水を防ぐために土のうが積まれています。別の復旧対策が求められています。

一日目は、支援物資届けと仕訳、オリエンテーションと現地調査、二日目は泥だし作業、最終日は、
御用聞きで中里二丁目を回りました。一見、落ち着いて見えるこの地域も、一週間は海水に使ったままで、二階に避難している住民は、震災から四日目ぐらいから、自衛隊のボートやヘリコプターで救出されたり支援物資を受けて今日まで頑張ってこられたということでした。
よく見ると半壊の家屋も多く、人口は、三分の一程度だと言ってました。
葛飾ボランティアで三チームが訪問活動を行い、十数件の支援依頼がありました。

今後も、ボランティア派遣、支援物資と義援金を受け付けています。ぜひ、ご協力をお願いします。