「永遠のゼロ」から赤旗

いま、「永遠のゼロ」百田尚樹氏の本を読んでいます。これも文庫で570ページ以上の大作ですから、まだ半分にまで達していません。第二次大戦中、零戦という戦闘機に搭乗した若者たちの有り様が描かれています。現代に生きる若者が自分の祖父が零戦の搭乗員であったこと、そして、本人の本意とは異なり、終戦の数日前に特攻で亡くなった。

その手に詳しい人には、笑われそうですが、当時、まともな自動車も戦車も製造できなかった我が国でしたが、零戦は特別に優秀な能力を持つ戦闘機だったと言われています。しかし、主人公は「生」にこだわり、それゆえ、軽蔑もされ尊敬もされました。作者は、兵隊の命よりも零戦を含む兵力を上において無謀な作戦を遂行した当時の大本営を厳しく批判しています。

友人の父が亡くなり、通夜に参列しました。亡骸を収めた棺桶には「赤旗」につつまれていました。生涯、社会変革にむきあってきた先輩に合掌。

同時に「永遠のゼロ」のなかで散っていった、ラバウルガダルカナルで散った航空機の搭乗員の亡骸は、わかりません。陸軍も戦闘で亡くなった方も戦うどころか餓死に追い込まれた兵員の遺体もまともに帰っては来ません。ましてや、特攻隊は爆弾とともに自らの体を武器にしているのですから。
あんな時代の回帰につながる動きはどんな芽であっても摘み取り排除しなけばならない、と思います。