ハバナの支倉常長
被災地の石巻にサンファン館という施設があって、400年前のサンファン号という帆船の実物大レプリカがあるそうです。現在、津波の影響で営業していないとのことです。
実は私、帆船を見るのも模型をつくるのも趣味とし、サンファンとは英語風にいうとセント・ジョンということになり、じつはスペイン語なのです。
石巻でなんでサンフアン館なのか、支倉常長の今日の読売新聞の記事で点と点の記憶がむすびつき、そうかあの時キューバでみた銅像がそうなのかとなった次第です。
支倉常長、伊達藩の藩士で、徳川の治政となった1613年慶長遣欧使節団としてヌエバエスパーニャ(キューバも含んだメキシコ周辺のスペイン植民地)経由でヨーロッパまでわたりローマ法王に謁見し、1620年帰国したとのことです。当時、太平洋を渡り、アメリカ大陸からヨーロッパまでの航海は大変なものだったと思います。
その後、徳川幕府は鎖国しキリスト教を禁止します。常長自身帰国の二年後になくなり、常長の子息の常頼はキリシタンで処刑されて、支倉家は絶命したそうです。不運な支倉常長でしたが、その後、キューバでもその偉業がたたえられ、我が国とスペインとの交流のあかしとして石巻のサンフアン館がつくられました。
サンフアン館の営業開始も石巻の復興のひとつです。