ビザンツ オスマントルコ 現代

去年の夏休みにビザンツ帝国(東ローマ)の歴史本を読んで以来、その後、この帝国の版図とさらに中東を支配下においたオスマントルコの歴史、その後、ヨーロッパの台頭によって弱体化した、オスマントルコでしたが、やがて、南・東ヨーロッパの民族意識の高揚によって独立国がふえ、北からは、ロシアが南下し、ヨーロッパの大国に翻弄されながら、第一次世界大戦の前は、このバルカン半島が「世界の火薬庫」といわれ、世界戦争に広がりました。その後は、ファシズムによって枢軸国と連合国が入り混じるのですが、第二次世界大戦後は、ソ連スターリンの強引な支配に屈し、ご存じのように80年代後半に相次いで東ヨーロッパ諸国は、体制を変えていきました。

中学でも高校でも世界史は習ったし、その後もいろいろな歴史には興味がありましたが、ビザンツ帝国の支配地がオスマントルコ帝国にとってかわったことは知っていましたが、その前後の歴史と第一次世界大戦前までは、どうも知識として空白なんですね。

しかし、各国は民族の移動やイスラム教徒キリスト教の対立、戦いの歴史の連続で、いまだにトルコ内部も含めて解決できていない問題が見えてきます。

そのなかでも西ヨーロッパもふくめてジプシーの人権問題も解決すべき問題として残っています。

歴史や対立、偏見は一筋縄ではないようですが、知らないことばかりで探究心はへこまないのですが、聞きなれない地名や名前はとても覚えきれません。