独裁的独裁者

都知事選が近づいている。小池あきら氏が名乗り上げた。
12年の石原都政は、都民にとって必要なものが失われ続けた12年だった。マル福、つまり65才以上の医療費は、それまでは無料だったが、有料になった。無料のシルバーパスも取り上げられた。都営住宅の新規着工はゼロだ。新銀行にカネをつぎ込み不正が横行した。オリンピック誘致も失敗した。銀行税も喝采を浴びたが、裁判に負けてカネを支払うことに。

えばってばかりいる石原氏だが、都政に後退はあっても前進らしい前進は見当たらないではないか。
トップダウンのやりかた、議会で日本共産党議員に品のないヤジを浴びせるなど、議会の常識では考えられないことだ。そうした意味で独裁的であったと思う。

しかし、本当の独裁者が現れた。議会の声に耳を貸さず勝手横暴の結果、ついに住民の審判が下された前阿久根市長だ。そして、名古屋市の川村市長だ。議会が市長の政策実現を邪魔しているから住民の意見を聞くと議会のリコール運動を主導した。本来、住民投票とは、権力の行使に疑義が生じたときに「住民」の側が行なうべきものだ。二元代表制というのは、首長と議会という住民の審判で選ばれた機
関が互いにチェック機能を発揮すべきなのだが、強力な権限をもつ権力者の側が住民と票という手法で
リコール運動をあおるのは、ファッショ的なものと言わねばならない。

この点は、前衛一月号の愛知大小林武教授の論文を参照していただきたい。
住民投票の「プレシビット」としての利用ということだと指摘している。これを初めて利用したのはかのナポレオンが皇帝として自己の権力の正当化のために利用したと指摘している。これを防ぐには高度な規制が必要だと指摘している。

自民党民主党政権も信用できないという政治不信の頂点に達している今、意図的なこうした動きに機敏でなくてはならない。
都知事選でもこのことが当然問われる。私たち日本共産党の立場も当然問われてくる。
いま、必要なのはあなたたちだと思われる自力をつけなくてはならない。