従弟の訃報

おばさん(母の妹)から連絡をいただきました。
私よりも若い、40代の働き盛りなのに、先に行ってしまうなんて。

「いとこ」といっても、私にとっては、最年長は、六十代後半から、四十代前半です。なぜなら、父は、四人兄弟の下から二番目、母は、十人兄弟の上から四番目でした。
当時、富国強兵で、子どもがたくさんいるのが、国にとって良い時代だったのでしょう。

母の兄、長男は、フィリピンで戦死ました。

従弟の死以上に、ゆるされない死だと思います。

その後も、ここ数年間で、私の両親も。おじさん、おばさんも亡くなっています。時代の流れだと
いえばそれまでですが、従弟の死は、流れてして受け止められません。
病気だとはいえ、世の中は、非情だと思います。世話になったおじさん、おばさんが心配です。
いちばん大切をうしなったのですから。

旧盆が目前です。ご先祖様の墓参りにと思っていた矢先に。

できることは、先に逝った仏様に、合掌し、生かされている自分の存在を意識しつつ、どう生きるかは哲学的に意見が分かれますが、悔いのない人生をおくるということでしょうか。

悟りを開いたわけではありませんが、死に接して厳粛な想いにたたされます。
「私には「夢」があります。」有名な米国・黒人キング牧師の言葉です。
その意味の解釈には様々な議論がありますが、厳粛な想いに立って私なりの意味をもっています。