古川苞(しげる)没後80周年記念のつどい・墓参

12月15日、高砂の理昌院にて、古川苞没後80周年記念のつどい・墓参がおこなわれ、私も参加しました。

古川苞は、戦前この葛飾区を拠点にして活動していた共産党員で、度重なる検挙、投獄中の拷問の末、病に侵され、29歳という若さでこの世を去りました。
1906年に小樽でうまれ、旧制山形中・高で学び、この当時から「山形社会思想研究会」に所属し、社会主義思想にふれたとのことです。
成績優秀であった古川苞は、その後、東京帝大文学部へと進み、東大セツルメント活動に取り組んだそうです。

東大卒業の直前に日本共産党に入党し、その直後の4.16事件(共産党員、シンパなどへの大弾圧事件)に検挙されます。病気で釈放されますが、地下活動にはいり、赤旗新聞の印刷業務につくかたわら、労働争議の支援も行っていたと記録されています。
四度目の検挙ののち、抗議のハンガーストライキを決行、60日にも及びました。当時、蛎男(かきおとこ)のハンストと新聞にも掲載されました。

こうした先人の歩みによって今日があるのだと思います。合掌。